岩明均『ヒストリエ』~24世紀前の世界を鮮やかに描き出す名作~

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『ヒストリエ』第1巻表紙

『ヒストリエ』第1巻表紙

『ヒストリエ』は2003年から講談社「月刊アフタヌーン」で連載中の、古代オリエント世界を描いた歴史マンガです。2010年には第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞しました。


本作は、紀元前4世紀(日本では弥生時代にあたる)、マケドニア王国のアレキサンダー大王に仕えた書記官エウメウスの波乱に満ちた生涯を描いた作品(エウメウスは実在する歴史上の人物ですが、出自などの記録はなく、幼少期の物語は作者が創作したもの)。世界史の授業で誰もが「名称だけ」は覚えた古代オリエント世界を舞台にした物語です。




古代の世界に思いを馳せる


この作品で注目すべき部分の一つは、作者の豊かなイマジネーションによって描かれた、あまりお目にかかったことがない「古代の風景」。


貴族の生活や、有名な建造物、歴史に残る戦いに関しては記録も多く、その様子を想像するのは難しくありませんが、特徴の少ない街の景色や庶民の服装、普段の食べもの、さらに街の外の風景などは、記録が少なく、想像することが難しいものです。古代ギリシャ人が「バルバロイ」と呼び、奴隷として捕らえ扱ってきた人々の様子も、「勝者の記録」としての歴史には残ることはほどんどありません。


『ヒストリエ』第7巻表紙

『ヒストリエ』第7巻表紙

そんな歴史「盲点」のような部分を、『ヒストリエ』では生き生きと眼前に出現させ、24世紀も昔の「馴染みのない世界」と「私たちの生きる世界」とを、地続きにすることに成功しています。衣服や装飾品、家具、食器などにも意匠が凝らされ、細かい描写に目が行ってしまうほどです。作者の歴史考証と豊かな想像力の結果が伺えます。


一方、言葉づかいや、会話の内容を「今風」にすることで、「遠い昔の歴史物語」特有の堅苦しさを払拭しています。
大軍を率いる司令官ハルパゴスが王の命令に背き反逆を起こす際に「ば〜っかじゃねえの!?」と発するシーンは、ネット上でも話題になった斬新なひとコマ。



また、アリストテレスから「世界が球体である」ことを教えられた主人公が、それを「地球」と呼び、その造語にアリストテレスが感心するシーンなどは、言語的に考えて実際には成立し得ないものです。現実には決してあり得ないハズの会話が、リアリティをもって飛び出すのが非常に面白いところ。


建築物や庶民の生活風景は、「歴史考証から膨らませた想像力」によって描かれていますが、セリフや行動原理は、「あえて歴史考証を無視している」と言えるかもしれません。結果として本作は奇妙なリアリティを獲得し、読者の心を掴んで離しません。



「静」の魅力が光る独特な戦闘シーン


また作者・岩明均の、抑揚の抑えた独特な戦闘シーンや心理描写も注目していただきたいポイントです。たとえば「普段の何気ない会話」と、「剣を抜き敵の首を刎ねる」行為との間に表現の差がないのです。多くの物語では「人間が槍でズブリと貫かれる」ようなシーンは演出され劇的に描かれますが、本作では過激なシーンほど、むしろ演出を控えめに、冷淡に描かれています。


この感覚は戦争の記録映像などを観たときに感じる、演出の一切ない「事実」を見せられている感覚に近いものです。目の前で兵士が銃を抜き、ひざまずく捕虜の頭を打ち、倒れてそのまま動かない…ほんの数秒で起きる出来事。


はかなく危うい「命」の本質に触れるようなヒヤリとする描きかたです。


もちろんストーリー展開も、史実にミステリアスな創話を交えた一度読み始めたら止まらない魅力的な内容です。一見するとアッサリした描きなのですが、先述した描きの上でのテクニックも含め、読み進めていくうちに、趣向を凝らし尽くした手法の虜になること間違いありません。



読んだことのないタイプの歴史物語の大傑作『ヒストリエ』ぜひお見逃しなく!!

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