武富健治『鈴木先生』~葛藤する中学教師!演劇的文芸マンガ~

2012年04月23日 16:08 by TOP BOOKS編集部

『鈴木先生』第1巻表紙

『鈴木先生』第1巻表紙

2005年から双葉社「漫画アクション」で不定期連載中の本作は、中学校を舞台とした教師が主人公のマンガ作品です。主人公はタイトルにもあるように「鈴木先生」。2-Aのクラス担任で担当教科は国語。彼が生徒や時に先生の間で起こる様々な事件と向かい合う内容。
2007年には第11回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞し、2011年にはテレビ東京系列で実写ドラマ化されました。




「教師モノ」といえば…

この作品、メディアは違えど読者が最初に思い浮かべる比較対象はドラマ『3年B組金八先生』かもしれません。3年B組を担当する坂本金八が主人公の教師モノドラマ、世相を反映したシビアな内容と、教師のかくあるべき姿を描いた誰の記憶にも残る名作です。平成に入ってからの教師マンガ・ドラマというと「GTO」や「ごくせん」などの一風変わった作品もあります。
ですが、これら名作にはない力強い魅力が『鈴木先生』にはあるのです。



斬新な切り口と緊張感あるスリリングな展開

本作は、心の問題、性の問題などシビアな問題に切り込みながら、派手な飛び道具は使わず、地味と感じてしまうくらいに丁寧に、基本的に主人公・鈴木先生の視線と心理描写によって語られます。第一巻では「優等生」の出水が給食中に突然の問題行動に出る第1話。生徒が、小学四年生と性的な関係を持ってしまうエピソード。給食から「酢豚」のメニューが消えてしまうかもしれない問題…
様々なテーマの中には、これまで取り上げることがなかったような、「浅い」ように見える生徒の問題もありますが、異様なほど「深く」掘り下げ真相に迫ったり、生徒の一言一句、クラスが大騒ぎしているときの一人一人の表情の微妙な違いに注意深く気付いたりしていきます。その注視は、現実の「尊敬される教師」でさえ「あり得ない」と思ってしまう過剰な視線と思考でしょう。そういった視線から解決を導き出す流れは、推理小説のようにスリリングです。


『鈴木先生』第11巻表紙

『鈴木先生』第11巻表紙

一方、「描き」には「劇画」とか「恐怖系マンガ」のような過剰さがあります。おそろしく存在感のあるどアップの表情、汗やシワ、影など、コマの中が漫画的表現で埋め尽くされていて、問題に直面している人々の複雑で切実な心情をうまく描き出しています。「今風」のマンガではあまりお目にかかれない描きは、ともすれば積極的には読もうと思えない雰囲気かもしれません。
ですが『鈴木先生』は一度読んでしまえば、読者はどんどん不思議な魅力の虜になってしまう、奇妙な作品なのです。



この魅力は、おそらく先述した二つの「過剰さ」から醸し出されるものです。過剰なほど地味で丁寧な視線と、過剰なほどの描き込み
ある種の教師モノは「型破りな派手な手法」で問題を解決することで、物語の見せ場を作りますが、本作は非常に地味な思考と対話によって解決の糸口を見つけるモノ。周囲の機微に「気付く」ことが重要なポイントですから、その微細な「気付き」を演出するには「過剰」に見えるような描きで「ちょうど良く」見えてくるのです。
しかも、過剰な描きは時に奇妙な「笑い」も生み出します。凄まじい目ヂカラで、ズッコケたことを言ってしまうコマには、思わずニヤニヤさせられ、緊張感ある物語の合間に一息つくことができます。



教師である以前に人間である「先生」

さらに『鈴木先生』にはもう一つ、大きな魅力があります。それは教師の「危うさ」。鈴木先生はどんな問題にも真摯に取り組むスーパーマンのような教師ですが、同時に全ての登場人物が「危うき人間」としても描かれているのです。
色気が出てくる教え子を思わず性的な視線で見てしまったり、教師間の微妙な軋轢のストレスがあったり、生徒への指導の結果が、次の問題の種を孕んでいたり。
常に足下の揺らいでいる「学校」という現場に「聖人君子」の「あるべき教師」の像は無く、全員が「堕落しかねない人間」として存在している。「過剰」な演出が作品をリードしながら、根底には「リアル」が流れているのです。


この「過剰」と「リアル」が入り乱れた不思議なバランスが、この作品のミソなのです。本来であればあり得ない、過剰な思考の凝縮としてのストーリー。ですが、その問題の根本には自分にも感応できる「リアルさ」があります。
ここにはある種「芝居」のような雰囲気があるのです。「生の人間」の「作り話」。徹底的に掘り下げながら、それゆえにリアルではあり得ない真実へと導かれてゆく。リアルでありながら不自然



フィクションは全て同じように作られているはずなのですが、おそらく『鈴木先生』には作者が意図的にその不自然さを取り入れているのです。それはこのマンガを人と共有し、語り合いたくなるような不思議な感覚
えもいわれぬマンガ体験を、みなさんにもぜひ堪能していただきたいです。